賛同研究者

私たちは,2021年度(2020年度実施)の大学入学共通テストにおいて英語の民間試験を利用することに反対し,その中止と制度の見直しを国会に求めます。(五十音順)

※国会請願の趣旨にご賛同くださる研究者の方は,nominkaninkyotsu(at)gmail.comまで,お名前,肩書,短いコメント,(可能ならお写真)を至急,お送りください。以下の欄に掲載させていただきます。

安達 理恵(愛知大学地域政策学部教授/外国語教育・異文化間コミュニケーション)
民間試験導入には,英語のコミュニケーション力を伸ばすため,という背景があるのでしょう。が,そもそも大学入学時点でコミュニケーション力はそれほど重要なのでしょうか?AIがますます進化している現在,英会話ができなくても,近い将来,ウェアラブル端末でいとも簡単に,しかも多言語で会話できるようになるでしょう。これからの大学教育において重要なのは,AIができないこと―深く思考し,多面的に考え,創造的に生み出す力などーを育成することです。そのような力と民間の英語試験で測る力には根本的な違いがあるのに,導入は本当に必要なのでしょうか?

阿部 公彦(東京大学大学院人文社会系研究科・文学部教授/英米文学)
英語入試の改悪に反対します。今回の「4技能均等」なる看板は,政治的な理由で捏造されただけのニセものです。テスト運用の観点からも問題は山積。入試出題者が入試対策も請け負うという制度は問題漏洩の温床です。高大接続と大学入試システムの一日も早い「正常化」を願います。

荒井 克弘(東北大学名誉教授・大学入試センター名誉教授/高等教育研究)
大学入学共通テストへの民間英語四技能試験の導入に反対します。選抜資料となる共通テストに,仕様の異なる複数の民間テストを導入することは,受験生を多くの混乱とトラブルに巻き込む危険があります。この騒ぎの背景には,入試を梃子に教育を変えたいと主張する人々がいます。しかし,この考えは本末転倒だというべきでしょう。進学率が6割に近くなった現在も,ひとり一人の受験生にとって,大学入試が自らの将来をかけた真剣な挑戦の機会であることは変わりありません。公平,公正な入試を用意することは社会の当然のつとめであり,受験生の権利でもあります。その前提を欠いた入試は暴走以外の何ものでもない。教育の行政責任を負う文科省は勿論,大学入試の実施主体である,大学の良識,責任が問われるべき重大事です。

内田 伸子(IPU・環太平洋大学教授・お茶の水女子大学名誉教授・十文字学園女子大学名誉教授/認知科学・発達心理言語学)
大学入学共通テストに英語民間試験を導入することに反対します。日本語母語話者の英語能力を測定するには,従来の大学入試センター試験,あるいは,この試験に近い試験(テストの信頼性と妥当性が担保できる客観テスト)を課し,大学入学後,外国語教育の中で各大学のミッションや教育方針,新入生の英語能力の実態に照らして民間試験などを活用することが望ましい。以上から,英語民間試験導入により,受験生だけではなく,小学・中学・高校の英語教育に大きな混乱が起こることが懸念されますので,今の段階で民間試験導入の決定に断固反対します。

榎本 剛士(大阪大学大学院言語文化研究科准教授/語用論・教育言語人類学)
すでに多くの方々によって的確に指摘されている通り,大学入学共通テストへの英語民間試験の導入は,欠陥・不公正だらけです。また,「試験」自体が特殊なコミュニケーションであることが忘れ去られていないでしょうか?英語教育において音の側面や即興的側面を疎かにしないことは重要と考えますが,それが「試験化」されたコミュニケーションに対する型にはまった対策という形をとることで,多くの生徒(の英語)が一層「受験者(test taker)」のメンタリティに支配されてしまうことを強く危惧します。

江利川 春雄(和歌山大学教授/英語教育学)
大学英語入試への民間試験導入は,①目的・内容が異なる試験をCEFRで標準化する不公正,②経済的・地域的な不公平,③高校教育課程との不整合,④受験生の高負担,⑤採点の不平等,⑥試験実施体制の不備,⑦巨大利権の温床などの重大な欠陥があり,中止すべきです。

大内 裕和(中京大学国際教養学部教授/教育社会学) 
今回の英語民間試験導入は,受験生の住んでいる地域や出身家庭の経済力の影響が避けられず,入学試験にとって最も重要な「試験の公平性」が担保されていません。また,英語教育産業への利益誘導の点でも大きな問題があります。英語民間試験導入に反対します。

太田 智加子(筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター/外国語教育・社会言語学・視覚障害者への英語教育技術・グローバリゼーションの功罪・言語権等)
「大学入学共通テスト」に英語民間試験を導入することに,反対します。日本はなぜか,こと「英語」となると,ネイティブ崇拝・白人崇拝等,英米(欧米)模倣への呪縛から逃れられない性質があるようです。CEFRを導入していますが,皆様が的確にご指摘下さっている通り,そもそもCEFRはこのような目的で活用するために考案されたものではありません。私は,視覚障害学生への英語教育に携わっています。彼らが英語民間資格試験を受験する際は,「視覚障害者特別措置」により,拡大文字版・点字版等で受験しますが,各民間試験における特別措置にはばらつきがあります。また,一般高校にも多くの視覚障害学生が在籍しています。既にこの時点で,教育格差以前の不公平が生じています。教育は,公平・公正が原則です。二重の不平等を被るかもしれない受験生が,「見えない」ところに多くいる可能性も,忘れないで下さい。

大多和 直樹(お茶の水女子大学准教授/教育社会学)
そもそも大学入試(英語)において「聞く力」を過大に重視する形に変更すること自体,現時点では時期尚早であると考えております。というのも「聞く力」は,日常生活でどの程度英語にアクセスできるかの影響を受けやすく―たとえば幼少期に海外(英語圏)経験があれば比較的獲得しやすい一方で,(英語教育を重視する私学等に比べても)一般の公立学校の生徒には英語によるコミュニケーションの機会が質・量ともに限られている現状があるなど―生育環境・学習環境による有利・不利が生じやすいということができます。さらに,民間試験導入では,多くの研究者が指摘するように受験機会や利益誘導の問題を見逃せません。

大津 由紀雄(慶應義塾大学名誉教授/認知科学(言語獲得・言語運用))
大学英語入試への民間試験導入の問題点についてはすでに多くの方々が的確に指摘しているとおりです。もっとも根本的な問題点は諸々の民間試験と学習指導要領との整合性の問題です。この点については,民間試験と学習指導要領の間にCEFRを挟み込むことによって整合性が担保されているように巧みに見せかけています。この問題含みの政策によって高等学校(そして,やがて,中学校,小学校)における言語教育の姿が歪められてしまうことを大いに危惧します。

岡 敏弘(京都大学公共政策大学院・経済学研究科教授/厚生経済学・環境経済学)
民間英語資格検定試験の成績をどう使うかは各大学の責任とされているから,それを利用するのなら,ある回の英検の1700点とGTECの690点のどちらがどれだけ優れているかを決める責任は大学にある。それをよう決めないのに使う大学は無責任だ。CEFR対照表は参考までに示されているだけで,あれが正しいと誰も言っていない。国も言っていない。こんな状況で使えるわけがない。だから大学は使うように見せて実質使わなくてすむ方策を考える。しかし社会に費用をかけさせる。こんなものが「改革」か。害しかない。

岡田 悠佑(大阪大学大学院言語文化研究科准教授/応用言語学・第二言語語用論)
「話す力・技能」を測定するために,というのが今回の民間試験利用の趣旨の1つですが,そもそも「話す力・技能」とは何か,そしてそれはどのような方法でどの程度測ることができるのか,ということへの合意は言語テスト研究の中でも未だなされていません。各試験がそれぞれに個別の定義を持ち出し,それぞれ独自の方法で測ろうとしているのが現状で,今回対象となっている民間試験も含め,それぞれの試験が測ろうとしている「話す力・技能」とその「測定方法」との間の妥当性また信頼性については常に批判がなされています。そもそもの目的を果たすことができるのか分からない状況で,受験機会の公平性や教育機会平等などの問題を無視して今回の「改革」を実施する必要はありません。立ち止まって考え直すことが必要です。

奥村 太一(上越教育大学准教授/心理統計学・テスト理論)
入学試験においてまず求められることは,選抜の公正さです。大学入学共通テストにおいて英語民間試験を導入することは,受験生により多くの負担を強いておきながら選抜自体はより不公正なものになりかねないという重大な矛盾をはらんでいます。確たる根拠もない理想を追い求める前に,多くの人々の努力と知性によって積み重ねられてきたものが一気に崩れてしまうことの深刻さを認識すべきです。

小田 眞幸(玉川大学文学部教授・ELFセンター長/応用言語学)
大学入試制度を改革する前提は,現行の制度を検証し,新たな制度が確実に受験生にとって「より良い」ものであることだと思います。今回の大学入試への民間試験の導入に関して言えば,何が「良い」のかが全くわかりません。「四技能」「CEFR」など限られたキーワードを「良いもの」として繰り返し並べる反面,詳細な情報は全く出さずに拙速に政策を施行しようとする必要は何なのでしょうか。研究者の我々でも惑わされるほどですから,本来主役である受験生は全く蚊帳の外です。パーフェクトなテストはありません,だからこそ落ち着いて,研究者の知見を活かし,落ち着いて「意味のある」改革をすべきではないでしょうか。表層的で拙速な制度変更には断固
として反対します。

川原 功司(名古屋外国語大学英米語学科准教授/言語学)
大学入学共通テストにおいて,英語の民間試験を利用することに反対です。理由は以下の四つです。
(1) 受験機会の均等が保証できないこと(試験会場・機会が足りていない,アクセスに困る受験生が都心以外に多い,高校教員にボランティアという名目の強制出勤をさせる可能性が高いこと)。
(2) 試験に対する信頼性が得られていないこと(試験の質,採点の質に疑問を抱かざるを得ない民間試験が指定されていること,高等学校での教育とは無縁の内容の試験が指定されていること,試験会場での公正性,受験生の秘密保持,試験内容の漏洩可能性に関して信頼できる水準にないこと)。
(3) 試験の評価に対するCEFR資料が信頼できないこと。
(4) 試験内容を変更したことによる,教育上の効果が何も分からないこと(負の影響ならある)。
試験制度の改正は,これらの問題をクリアしてから議論すべきものです。

苅谷 剛彦(オックスフォード大学教授/社会学・現代日本社会論)
オックスフォード大学で社会学を教えています。海外在住のため署名には参加できませんが,その趣旨に賛同いたします。すでに他の方々が指摘している通りの問題がたくさんあり,その弊害を防ぐには中止を求めるしかないと思います。教育効果が疑われる中で,改革が強行されるのは,「英会話」の能力が多少上がった日本人が増えたとしても,その後の目標や展望がないまま,「英語ができない日本人」のコンプレックスの裏返しで,4技能(特に話す力)が拙速に求められているからだと思います。このレベルだと留学にも仕事にも使える英語力にはなりません。それに加え,新しい,巨大な民間市場を作り出すことにねらいがあるのでしょう。効果が疑われる中での強行から見ると,そちらが本音かもしれません。アベノミクスが唱える民活の一環なのでしょう。ただし,これまでなかったところに新たな民間市場を作り出そうとしているところが「官から民へ」とは異なる点です。

神澤 克徳(京都工芸繊維大学助教/認知言語学)
無計画な公教育の市場化が進んでいます。英語の民間試験を大学入学共通テストとして使うことは,その流れを象徴するものといえます。居住地域や家庭の所得のために高等教育を受けるチャンスを奪われる子どもたちを,さらに増やすわけにはいきません。

木原 善彦(大阪大学大学院言語文化研究科教授/現代英語圏文学)
大学での英語教育に携わる一人として,大学入学共通テストに英語の民間試験を利用することに反対します。既に多くの方が指摘なさっているように,いくつもの問題や欠陥をはらんだ制度設計になっています。それは小手先で修正可能な問題ではありません。教育的な意義がないばかりか,数々の害悪をもたらす制度変更はやめていただきたい。

佐藤 臨太郎(奈良教育大学教授/英語教育学・教室第2言語習得研究)
教員養成に携わり,テスティング関連の授業も担当しています。今更言うまでもないですが,公平性,公正性に欠き,公教育の民間企業への丸投げにもつながりかねない大学入試への民間試験導入には断固として反対いたします。勤務校では今のところ「英語認定試験の具体的な活用方法については、後日あらためて公表する」としていますが,こちらでも,出来る限り声を上げていくつもりです。

柴山 直(東北大学大学院教育学研究科教授/教育測定学)
規制緩和・民活と表裏一体の利益相反 (COI: Conflict of Interest) に関する法整備がなされないままの,1) 共通テストの枠組みにおける英語民間試験採用,並びに,2) 合理的なコスト制限があるなか,50万受験生たちに対して,公平・公正な測定をしなければならない大規模共通テストへの記述式問題の混入実施,に反対いたします。

清水 裕子(立命館大学教授/英語教育学・言語テスト)
大学院生の時に,言語テストの講義の最初に伝えられたメッセージが<No test is perfect.>でした。様々な要因を考慮し,テスト利用者にとって少しでも公平なテストに近づける努力をするのが,テスト実施に関わる者の責任であり,私自身が言語テストの話をする際には,そのメッセージを伝えて参りました。使用するテスト自体が優れたものであっても,そのテストが得意とする測定範囲と実施目的および受験対象者の力が噛みあわなければ,テスト利用者を苦しめるだけです。今回の方針は「やってみよう!」などと軽々しく進めるものではないことは誰にも明白です。間違った方向に進み続ける前に,テスト理論や教育測定,英語教育学の研究者の声を受け止めながら,誰のための改革・制度なのか,立ち止って見直す最後のチャンスを!

宗 洋(高知大学准教授/英文学・映像メディア)
なぜ国立大学の受験資格を得るために,民間企業に受験料を払う必要があるのでしょうか。仮に行政が費用の一部を負担するとしても,それは私たちの税金から捻出されます。つまり業者の懐を潤すために,税金が投入されるということです。試験を作成するのと同じ業者がその対策本を売るというのも大問題です。練習として,高校1年生の段階から何度も繰り返し模擬受験しやすい都市部の富裕層が,地理的・経済的に圧倒的に有利であり,不公平です。またライティングとスピーキングの採点があまりにも杜撰であることが指摘されており,試験結果が公正および正確に評価されることはありません。入試として全く機能しないにもかかわらず,民間試験は,受験生,保護者,教員に時間と労力を費やすことを強制し,受験生の家庭に経済的な負担を強いることになります。したがって民間の英語試験の導入には断固反対します。

寺沢 拓敬(関西学院大学社会学部准教授/言語社会学)
英語教育政策を研究する者として反対します。テストの妥当性,運用方法,手続きの面ですでに多くの問題点が指摘されていますが,教育政策の面でも悪手な改革です。教育上の効果はないにもかかわらず,コストだけは甚大で,「何もしないほうがマシ」の改革です。
改革論議では「入試を変えれば英語教育が改善する」という主張がまことしやかに語られていますが,実証的にも理論的にも根拠はありません。こうした単純な因果関係でものを考えたくなる気持ちも理解できますが,実際には私たちの社会制度・教育制度はきわめて複雑です。出口のインセンティブを少し刺激したくらいで望ましい結果が得られるわけではありません。

寺島 隆吉(国際教育総合文化研究所・所長、元岐阜大学教育学部教授/英語教育学)
大学英語入試への民間試験導入は重大な欠陥があり,中止すべきです。その理由は以下のとおりです。
①目的・内容が異なる試験をCEFRで標準化することは不可能
②田舎に住むものと都会に住むものとでは受験する機会がまるで違う
③文科省の指導要領に従わない民間試験を高校生が受験しなければならないのは全くの不合理
④本来は文科省が無料で実施すべき全国大学入試を受験生が高い金を払って受験しなければならないのも全く不合理
⑤民間試験を受験したとしても,それを採点するのは誰がするのか,その公平性を誰が保証するのか,全く不明
⑥英語の大学入試を民間委託するのは,高校教育の現場を民間企業のための予備校に変質させる危険性が極めて高い
⑦結局,英語の大学入試を民間委託するのは,英語教育産業を儲けさせる方策となり,英語教育の改善には役立たない

鳥飼 玖美子(立教大学名誉教授/英語教育学・言語コミュニケーション論)
大学入学共通テストに英語民間試験を導入するのは、「英語の4技能」測定が理由とされていますが、「話す力」を公正に評価することは極めて困難です。民間試験の成績を出願資格として足切りに使うことは不当に受験の機会を奪うことになりかねません。加えて、各種の民間試験を使うために対照表として用いるCEFRは、入試選抜に使うために策定されたものではありません。欧州評議会の複言語・複文化主義を具体化し、外国語教育を改善するために作られたCEFRは、各国・各教育機関が自由に基準を変えて使って良いので、絶対的な「国際標準」などではありません。それどころか2018年公表の「増補版」では、これまでの6段階は大まか過ぎるとして「11段階」に修正。「伝統的な4技能モデルは複雑なコミュニケーションの実態を捉えきれないので、不十分である」として「7技能」に変更しました。未だに「4技能」「6段階」に固執したままCEFRを対照表に使うことだけでも制度設計が誤っていることになります。公平性・公正性が担保されないまま、高校英語教育を民間試験受験対策に駆り立てる施策の犠牲になるのは、生徒たちです。抜本的な見直しが必要です。

中村 高康(東京大学大学院教育学研究科教授/教育社会学)
入試制度や選抜システムについて社会学的観点から研究してきました。今回の高大接続改革・大学入試改革の方向性に私個人は強い疑問を持っていますが,改革に賛成・反対いずれの立場であっても,現状は「いったん立ち止まらないと犠牲者が出る可能性が非常に高い」という危険な状況だと認識しています。特に,英語民間試験導入は,大きな混乱が起こることが懸念されます。

名和 敏光(山梨県立大学国際政策学部准教授,山東大学儒学高等研究院国際漢学研究センター(大学院)教授(兼任)/中国哲学)
大学での中国語教育に携わっています。英語教育の専門家ではありませんが,問題があることは理解できます。公平性の保持できない入試制度は慎重を期さなければなりません。「地球の年齢」を間違える出題ミスをする様な試験を信頼できません。ミスが起きた時の対応も、その責任を誰がとるのかも明らかではありません。

西田 亜希子(大阪市立大学人権問題研究センター特別研究員/教育社会学)
高校生が進路先を選ぶ意識や,その進路選択に及ぼす学力や家計の影響,また離島・(準)へき地(中山間地域)高校の教育実践を調査してきました。船に乗って,前泊して受験会場に向かわなくてはならないような,何度も受験するのが難しい受験生もいます。配慮も考えられているものの,ハードルはまだ高く,このままの入試制度では受験する前の段階で不利になったり,諦めたりする子たちがさらに増えてしまいかねません。公正に入試をするために,いったん立ち止まって考え直してもよいのではないでしょうか。

西山 教行(京都大学人間・環境学研究科外国語教育論講座 教授/言語教育学,言語政策,フランス語教育学)
CEFRなどの言語教育政策研究を進めているものとして,文部科学省のすすめる英語教育政策に反対の立場を表明します。文部科学省はCEFRを包括的に理解することなく,共通参照レベルのみの理解にとどまり,さらにその部分的な理解も妥当性を欠いています。CEFRを援用した大学入試への民間試験の活用は英語単一言語主義をさらにあおりかねません。CEFRは英語教育のみを推進する道具ではなく,ましてや日本の大学入試に援用されることを前提として作成されたものではありません。

野口 裕之(名古屋大学名誉教授/テスト理論・大規模言語テスト・CEFR)
CEFRは個別言語で設定される「能力規準」ではなく,学習者の言語能力レベルのイメージを共有できるように,その言語を使って学習者がどんなことがができるのかを Can-do statements で示した「参照枠組」です。いわゆる「英語民間試験」は目的・仕様などが開発機関によって異なります。ですから,測定する英語能力や何のために測定するかが異なっているし,そこに試験の特徴があるのです。試験の結果をCEFRに対応づけることはできても,CEFRを利用して異なる試験の結果,特に得点を対応づけることはできません。各大学の個別試験で,各大学の使命や教育方針に応じて,適切な英語民間試験を選ぶのなら分かります。しかし,高大接続のために用いるなら,大学入学共通テストでは従来の大学入試センター試験に近い試験を課して,外国語民間試験(英語とは限りません)はむしろ大学入学後の外国語教育の中で,各大学の実情に照らして用いられるのが適当かと思います。そして,何よりもCEFRの理念を学生には知って欲しいと思います。

南風原 朝和(元・東京大学教授/心理統計学・テスト理論)
国立大学の中に,「民間試験の受験は求めるが,その成績は不問とする」という,びっくりするような方針を発表する大学まで出てきました。国立大学協会が2017年11月に拙速に発表した基本方針に従いながら,被害を最小限にするための苦肉の策だと思いますが,どう見てもおかしいです。これまで大学の知性に期待をつないできましたが,この状況に至っては,いったん共通テストへの民間試験の導入をストップする以外に,「おかしな入試」を回避する道はないと思います。あわせて,国立大学協会には基本方針の見直しを求めたいです。

羽藤 由美(京都工芸繊維大学教授/応用言語学)
複数の民間試験の成績を比較するために作られた「各資格・検定試験とCEFRとの対照表」には科学的根拠がありません。文部科学省で対照表の妥当性を検証した作業部会には,民間試験と利害関係のない第三者は一人も含まれていませんでした。こんなデタラメな対照表に基づいて「大学入学共通テスト」を実施するのは日本の恥,世界の笑いものです。

藤原 康弘(名城大学准教授/英語教育学・応用言語学)
日本の中・高・大の英語教育の現場を経て,現在,第二言語習得研究・応用言語学を教育,研究するものとして,反対します。当初より問題が指摘されていた大学入学共通テストの英語民間試験。「すこしでも改善を」というスタンスで問題点をまとめてきました(ウェブ記事,論文)。しかし,新制度開始まで1年を切っても,具体的な解決策,改善案は示されていません。この現状では,仮に今の問題(スピーキング試験の実施)が解決したとしても,新たにより大きな問題(公平な入試制度の崩壊)を抱える危険性が極めて高いです。受験生の一生に関わります。「スピード感」は横において,慎重に進めるべきではないでしょうか。

光永 悠彦(名古屋大学大学院教育発達科学研究科准教授/計量心理学)
異なる種類のテスト結果を比較可能にする方法の研究を,教育測定学の立場から行ってきました。民間の語学テストを入試に導入するという点では,今回の改革は画期的だと思っています。しかし,どうやってスコアを比較可能にするかを検討する部分が,決定的にまずい。今のプランが実行されたら,公平性に疑念を抱く人たちを巻き込みながら,大学入試が行われます。その構図自体が,公平性を重視する入試にとって,致命的ではないでしょうか。公平であるとみんなが思える入試制度が確立されるまで,立ち止まって考え直し,ベストを尽くすことは十分可能なように考えます。

亘理 陽一(静岡大学教育学部准教授/英語教育学・教育方法学)
英語教員養成に携わり,小中高の先生がたと実践研究を行う者として反対します。入試制度として「実施しながら改善を図っていく」ための環境・条件すら整っているとは言いがたく,2020年度以降に受験する生徒や,その生徒たちを教える教師,そして日々の授業がその犠牲になるいわれはどこにもありません。「[雑感064] 民間試験導入で失うもの」という記事でも書いた通り,責任ある者のとるべき行動は,大学入学共通テストにおいて英語の民間試験を利用することを中止し,制度の見直しを行うことです。